む
2004年10月1日昔話。
体験鯖統合直前に課金鯖へと移住した俺(1st、リーマン)が最初に使ってたユニットは、確かジャイ・アティ・エクソだっただろうか。
当然アティは当時主流のロングレンジ、ジャイはクロークで敵陣奥まで突っ込み、エクソはハプオン。
居座りなんて殆どなかったからか、DTの存在は稀だった。クロークジャイのごり押しは一般的だった。
EQや爆撃なんて下位に存在しない時代だ、これしかなかったのだ。
レジ面が中位進出する頃、俺はまだ自分の未熟さを恐れて下位に残った。
ジャイに飽きてファントムを購入。アティを売ってバイク購入。とにかくスピードこそ自分の命と信じた。
やがて中位に上がる。下位に未練は一切なかった。
そもそも、俺はあまり群れるのが好きではない。
そして余り他人を信用しない。
馬鹿話は程ほどが一番で、自慢話とか出てくると途端にレジを抜けた。好きな奴ばかりではないので、嫌いな奴がいるときもレジを抜けた(これは今でも変わらないか)。
なもんで、装備の話とかを質問する機会が余りなく、また戦い方もかなりの我流だった。
takkaと出会ったのはこの頃だろう。
彗星か何かのレジ茶で、自分の住んでる街を言い合っていた時、
リーマン「川崎」
takka「川崎」
リーマン&takka「おw」
リーマン「麻生区」
takka「多摩区」
リーマン「ちけーw」
そんなんで、1onにて後の酒を約束。
この頃、赤帝にはリーマン・takka・MEXONという「九州三馬鹿罵倒トリオ」という存在があったと記憶している。
中位でファントムをウマイパーにUG、炎に憧れてエクソをFEに、メガロポリスMTに憧れてMTも買った。
上位進出は中位以上に悩んだ。
自分のスキルってもんがどのレベルにあるのかがさっぱりわからず、噂で聞く上位の世界なんてとても無理だと思ったのだ。
スナイパーは木陰に隠れて撃ってたし、MTはROCなくなってもガンガン前でてって敵TVに対抗してみたり。
そして。これでいいのかと、悩みに悩んだ末、上がった。
上位初出撃、FE。数秒でballedにて終了。
スナイパー、arbedにて終了。
MT、出しどころなく終了。
凹んだ。
そして自分のスキル不足を痛感した。
萎え気味の中、下位にて2nd、freetime誕生。
正解だった。これでいろいろな事を覚えた。
出来なかった事を色々と再確認させたいい時間だった。
通常ではカット・睨み方面に向かうことが殆ど(抜けなんて知らなかったけど)になり、外交もやった。
一応レジ内での連絡はとっていたので、上位での噂や下位の情報伝達等、下っ端の仕事もやった。
この頃2chやゲーム内でも赤帝が叩かれまくって、下位レジが取り壊しにあうという噂が流れたとき、真っ先に下位で集合をかけた。
「俺たちが何とかしなきゃ、レジはなくなります」
(この時に横槍といれてきた現在同レジの彼、今でも忘れないよ)
その後、2ndが中位に上がったあと位に赤帝から下位OLが連発する。
少なかったレジ員も増え、活気を取り戻した、、、かのように見えたが、肥大化したレジはいずれ消え行く運命にあるのか、柱だったOL経験者がACTを減らしたり中位にあがったりした時点で失速していく。
より装備とか操作とかに興味を持ったのもこの頃で、ブレと出会ったのもこの2ndを中位に上げた時だった。
ブレに慣れだした末、上位のリーマンにもブレを持たせようとジャイを買った。
CAVEがだるくて、いつもクロークジャイで敵PTまで突っ込んでいった記憶がある。当然EQなんて付いてない。
いいのか!?
しかし、こんな適当なプレーヤーだが、怒られたという記憶はほぼない(流石に上位でのROC無しクロジャイは課長さんから1onもらったけど)。
操作も装備も滅茶苦茶、でも怒られることがなかったのは、今でも不思議でならない。
呆れられてたんだろうか。
まぁ、これだけやったら文句ないっしょ?という気概でいっぱいだったのだが。(今思えば「はぁ?」な感じだろうけど(笑))
そういえばfreetime中位時代、紫にfreedomという人がいて、一度間違ってグル茶が来た事がある。
なんだ?と思って返事したら、そのfreedomさんと間違えたとのこと。
早速freedomさんに1onを送り、それから見かけたら声をかけるようになった。
ブレにUGして間も無く、酔拳政権下での上位5on5大会が披かれた。
初めて話した裸王にビクビクしながら同じチームにて出場する。
集まってるときにLongtimeというキャラが近くにいて、名前2ndと近いなぁ、なんて思ったのものの、中の人を知ったのはもっと後だった。
大会は惨敗。緑のNama氏やら、その辺のチームだった。最後までブレで逃げまわることしか出来なかった。
当時、ブレが楽しくて仕方がなかった。
戦場は魔の左下だったが、ブレだったら奥までいける、俺を食いたきゃついて来い雑魚ども、そんな感じのプレイスタイルだったのだ。
時は流れ。
初めてレジ長を経験したのは、DC政権下のレジ長日替わりシステムの際だ。
一瞬ではあったものの、頭に変なものが載って、少し誇らしい気持ちになった。
「!国民よ!テスト」
初シャウトはこんなものだったろうか。
自分の声が国のみんなに届く。うわーうわーうわー(^▽^)キャーキャー、だ。
そしてその後、運命的な出会いがあった。
各国オフ面だ。
takkaと企画したオフに物凄い沢山の人間が来てくれた。
予約した店がいっぱいになった。
takkaがOL後で、彼の方が各国いろいろ知人がいて、正直うらやましかったな。俺なんて、その存在すら知られてないようなプレーヤーだ。高速ユニで突っ込むことくらいしか能がなく、きちんとした戦略研究なんて誰かと話し合ったこともない。
でも、彼らは、持てる知識を存分に披露してくれた。
嬉しくて、酔った。つぶれて寝た。
間違いなく、この出会いが俺のTC生活を変えている。
「あいつらが見ている手前、恥ずかしいことなんてやってらんねー」
そう思うことが、自分の右足左足を振り上げる原動力となったのだ。
あれから1年ちょい。
レジ内方針違いにて赤帝を抜けて久しい。
今の面子は殆ど話したこともない。
かといって、お邪魔してる紅蓮でもお客様根性が抜けずにいる。
中途半端だ。
ま、つまり、
こんなアタチですが、誰かお嫁にもらってください(v_v〃)テレ
これ最後まで完読した人、頭がおかしいので次に書く日記に
(´Д`; 三 ;´Д`)
をコピペしといてください(何
2634文字
体験鯖統合直前に課金鯖へと移住した俺(1st、リーマン)が最初に使ってたユニットは、確かジャイ・アティ・エクソだっただろうか。
当然アティは当時主流のロングレンジ、ジャイはクロークで敵陣奥まで突っ込み、エクソはハプオン。
居座りなんて殆どなかったからか、DTの存在は稀だった。クロークジャイのごり押しは一般的だった。
EQや爆撃なんて下位に存在しない時代だ、これしかなかったのだ。
レジ面が中位進出する頃、俺はまだ自分の未熟さを恐れて下位に残った。
ジャイに飽きてファントムを購入。アティを売ってバイク購入。とにかくスピードこそ自分の命と信じた。
やがて中位に上がる。下位に未練は一切なかった。
そもそも、俺はあまり群れるのが好きではない。
そして余り他人を信用しない。
馬鹿話は程ほどが一番で、自慢話とか出てくると途端にレジを抜けた。好きな奴ばかりではないので、嫌いな奴がいるときもレジを抜けた(これは今でも変わらないか)。
なもんで、装備の話とかを質問する機会が余りなく、また戦い方もかなりの我流だった。
takkaと出会ったのはこの頃だろう。
彗星か何かのレジ茶で、自分の住んでる街を言い合っていた時、
リーマン「川崎」
takka「川崎」
リーマン&takka「おw」
リーマン「麻生区」
takka「多摩区」
リーマン「ちけーw」
そんなんで、1onにて後の酒を約束。
この頃、赤帝にはリーマン・takka・MEXONという「九州三馬鹿罵倒トリオ」という存在があったと記憶している。
中位でファントムをウマイパーにUG、炎に憧れてエクソをFEに、メガロポリスMTに憧れてMTも買った。
上位進出は中位以上に悩んだ。
自分のスキルってもんがどのレベルにあるのかがさっぱりわからず、噂で聞く上位の世界なんてとても無理だと思ったのだ。
スナイパーは木陰に隠れて撃ってたし、MTはROCなくなってもガンガン前でてって敵TVに対抗してみたり。
そして。これでいいのかと、悩みに悩んだ末、上がった。
上位初出撃、FE。数秒でballedにて終了。
スナイパー、arbedにて終了。
MT、出しどころなく終了。
凹んだ。
そして自分のスキル不足を痛感した。
萎え気味の中、下位にて2nd、freetime誕生。
正解だった。これでいろいろな事を覚えた。
出来なかった事を色々と再確認させたいい時間だった。
通常ではカット・睨み方面に向かうことが殆ど(抜けなんて知らなかったけど)になり、外交もやった。
一応レジ内での連絡はとっていたので、上位での噂や下位の情報伝達等、下っ端の仕事もやった。
この頃2chやゲーム内でも赤帝が叩かれまくって、下位レジが取り壊しにあうという噂が流れたとき、真っ先に下位で集合をかけた。
「俺たちが何とかしなきゃ、レジはなくなります」
(この時に横槍といれてきた現在同レジの彼、今でも忘れないよ)
その後、2ndが中位に上がったあと位に赤帝から下位OLが連発する。
少なかったレジ員も増え、活気を取り戻した、、、かのように見えたが、肥大化したレジはいずれ消え行く運命にあるのか、柱だったOL経験者がACTを減らしたり中位にあがったりした時点で失速していく。
より装備とか操作とかに興味を持ったのもこの頃で、ブレと出会ったのもこの2ndを中位に上げた時だった。
ブレに慣れだした末、上位のリーマンにもブレを持たせようとジャイを買った。
CAVEがだるくて、いつもクロークジャイで敵PTまで突っ込んでいった記憶がある。当然EQなんて付いてない。
いいのか!?
しかし、こんな適当なプレーヤーだが、怒られたという記憶はほぼない(流石に上位でのROC無しクロジャイは課長さんから1onもらったけど)。
操作も装備も滅茶苦茶、でも怒られることがなかったのは、今でも不思議でならない。
呆れられてたんだろうか。
まぁ、これだけやったら文句ないっしょ?という気概でいっぱいだったのだが。(今思えば「はぁ?」な感じだろうけど(笑))
そういえばfreetime中位時代、紫にfreedomという人がいて、一度間違ってグル茶が来た事がある。
なんだ?と思って返事したら、そのfreedomさんと間違えたとのこと。
早速freedomさんに1onを送り、それから見かけたら声をかけるようになった。
ブレにUGして間も無く、酔拳政権下での上位5on5大会が披かれた。
初めて話した裸王にビクビクしながら同じチームにて出場する。
集まってるときにLongtimeというキャラが近くにいて、名前2ndと近いなぁ、なんて思ったのものの、中の人を知ったのはもっと後だった。
大会は惨敗。緑のNama氏やら、その辺のチームだった。最後までブレで逃げまわることしか出来なかった。
当時、ブレが楽しくて仕方がなかった。
戦場は魔の左下だったが、ブレだったら奥までいける、俺を食いたきゃついて来い雑魚ども、そんな感じのプレイスタイルだったのだ。
時は流れ。
初めてレジ長を経験したのは、DC政権下のレジ長日替わりシステムの際だ。
一瞬ではあったものの、頭に変なものが載って、少し誇らしい気持ちになった。
「!国民よ!テスト」
初シャウトはこんなものだったろうか。
自分の声が国のみんなに届く。うわーうわーうわー(^▽^)キャーキャー、だ。
そしてその後、運命的な出会いがあった。
各国オフ面だ。
takkaと企画したオフに物凄い沢山の人間が来てくれた。
予約した店がいっぱいになった。
takkaがOL後で、彼の方が各国いろいろ知人がいて、正直うらやましかったな。俺なんて、その存在すら知られてないようなプレーヤーだ。高速ユニで突っ込むことくらいしか能がなく、きちんとした戦略研究なんて誰かと話し合ったこともない。
でも、彼らは、持てる知識を存分に披露してくれた。
嬉しくて、酔った。つぶれて寝た。
間違いなく、この出会いが俺のTC生活を変えている。
「あいつらが見ている手前、恥ずかしいことなんてやってらんねー」
そう思うことが、自分の右足左足を振り上げる原動力となったのだ。
あれから1年ちょい。
レジ内方針違いにて赤帝を抜けて久しい。
今の面子は殆ど話したこともない。
かといって、お邪魔してる紅蓮でもお客様根性が抜けずにいる。
中途半端だ。
ま、つまり、
こんなアタチですが、誰かお嫁にもらってください(v_v〃)テレ
これ最後まで完読した人、頭がおかしいので次に書く日記に
(´Д`; 三 ;´Д`)
をコピペしといてください(何
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